
韓国のコミュニティサイトより「日本が1300年前に作った世界最大の仏像…jpg」というスレの反応を翻訳して紹介します。
日本が1300年前に作った世界最大の仏像…jpg

高さだけで20メートル…しかも青銅仏だそうだ。
200年後、統一新羅時代に石で作られた石窟庵とは比べ物にならないほど大きく、芸術性も高い。
こういうのはどうして誰も紹介しないのか?
————————-
東大寺大仏
大仏は747年から鋳造が始まり、この頃から東大寺と呼ばれるようになったようだ。史料に「造東大寺司」として現れるのは748年が最初で、聖武天皇の大仏建立の許可はそれ以前(743年)だった。困難な工事の末、大仏の鋳造を終え、752年頃に天竺(インド)出身の僧侶・菩提僊那を導師として大仏開眼供養が行われた。ただし大仏鋳造の後、大仏殿の建設が始まり、大仏を大仏殿に安置して竣工したのは758年頃だった。
コメント掲示板はコチラ
ttps://x.gd/8eJut
韓国の反応
日本ですら、あれは百済の技術で作ったって言っている。
一度焼失したけど再建された。
20年くらい前に実物を見たが、すごく大きかった。
四方からいろいろな人が日本列島に渡っただろうが、その中で日本をきちんと開拓し、最終的に支配した勢力は、朝鮮半島から渡った百済系が主流だったと見られている。
新羅にだって大きな木造建物は多かった。黄龍寺など。
でも全部焼けてしまった。
そうやって言わないと精神を保ってられないのか、可哀そうに。
日本=百済の末裔なのは事実。
それは否定できない。
天皇も百済出身だろう。
このときから日本がアクセルを踏んで発展したのは事実だ。
大仏製作に大きく貢献した行基大師は朝鮮半島から渡った系統でもある。
比べるなら、新羅の国策事業は6世紀に建てられた黄龍寺ぐらいだ。
その主張を論破してみよう。以下のように論理的に展開できる。
石窟庵が新羅貴族の個人資金で建てられたというのは事実ではない。
石窟庵は統一新羅・景徳王代の国策事業であり、金大城(キム・デソン)が王命を受けて造成した国家主導の仏教建築事業だ。
『三国遺事』には、金大城が前世の両親のために仏国寺を、現世の両親のために石窟庵を建てたとあるが、これは仏教事業の意義を強調するための説話的解釈であり、実際には国家の総力を挙げた国家事業だった。
石窟庵は神秘的な要塞の中にあるみたいで本当にかっこいい。
捏造かもしれないから。
自分で遺物を埋めて掘り出したとか日本ではよくあること。

